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作品 |
作品名・作家名・サイズ・種類 |
鑑定 |
解説 |
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1 |
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落ち穂拾い(1855年作) |
DE´LART M12 |
本作品は、ミレーの代表作であり、
オルセー美術館の油彩画に先行して描かれた作品です。
本作品が1855年に制作され、2年後に油彩作品が
1857年のサロンに出品されたのです。 |
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
19×25.2cm エッチング |
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2 |
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種まく人 |
DE´LART M22 |
この作品は油彩の「種まく人」が発表された翌年
1851年に制作されたが、おそらく1枚だけ印刷された。
その後印刷はされずミレーの死後、1879年に数枚の試し刷りをした。
1889年25枚限定で印刷され、限定番号が記されている。
現在この作品はまったく残っていない。
1908年、その数年前の間、ほんの少しの枚数(2〜3枚)が印刷された。
石版原版は破棄された。非常に枚数の少ない希少な作品である。
現在は世界に合計20枚に満たない位の作品しか残ってないと思われる。
【正に幻の作品である】 |
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
19.1×15.6cm リトグラフ |
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3 |
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耕す人(1855年作) |
DE´LART M13 |
"1866年ボストン美術館蔵に先行して1855年に制作された。
作品に至るまでに、ミレーは多くの関連素描を残している。
これらの素描には、一人一人を個別に描いたものと、
二人の人物を組み合わせたものがあり、それぞれの人物のポーズと
配置を探求したものになっている。この様なプロセスを経て制作された
二人の人物像に、背景の表現を加えることで本作品が完成された.作品は
ミレーが行った制作上の探究の一つの帰結点となっている。
本作品は油彩画に先行して制作された作品です。 " |
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
23.7×33.7 エッチング |
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4 |
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牛乳をかき回す(1855年作) |
DE´LART M10 |
"本作品はミレーが繰り返し扱った主題だが この銅版画は構図の編成の過渡期に位置付けることが出来る。農婦・容器・猫が三角形を成す構図と農婦のポーズはこの時点で後のサロン展出品作「バター作りの女」に近いものになっている" |
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
13.9×11.9cm エッチング |
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5 |
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肥料を取り込む農夫(1855年作) |
DE´LART M11 |
"この収穫物を運ぶ台車の主題は、ミレーの油彩農民画に初期から登場し、
あの有名な1859年に描かれたオルセー美術館の《晩鐘》にも描かれる
お馴染みのモチーフである。 ミレーのエッチング技術はこの作品あたりから
(1855年)急に技量が発揮され出し人物の彫刻的な立体感や背景の陰影付けの
グラデーションが繊細で軽いエッチングの線によって見事に再現されている。" |
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
16.3×13.3cm エッチング |
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6 |
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ミルク粥(1861年作) |
DE´LART M17 |
1861年のサロン展には、《待つ人》《羊の毛を刈る女》そして《ミルク粥》の油彩画が出品された。その後美術評論家フィリップ・ビュルティの依頼によってエッチングが制作され、同年9月号の『ガゼット・デ・ボザール』「に彼が寄稿した論文「J.F.ミレー氏の腐食銅版画」の挿絵として掲載された。 |
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
15.8×13cm エッチング |
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7 |
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桶に水を空ける女(1862年作) |
DE´LART M28 |
"ミレーは生涯2点だけガラス版画を制作した。そのうちの1点である。このこの作品は油彩画の《ミルク缶に水を注ぐ女》(三菱一号館美術館)が基本になっている。
ミレーは農村の日常生活を描きだすのにあたって、女性が水を汲んでいる姿を素描やガラス版画、そして油彩と言うように、異なる方法で繰り返し描いた。家庭生活を支える「水」をくむ女性の主題はミレーにとって重要なもであったと考えられる。" |
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
28.5×22.5cm ガラスステロ版 |
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8 |
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畑に向かう農夫(1863年作) |
DE´LART M19 |
"本作品は1928年パリの日本館にて パリの画家展に出品されている作品です。 ミレーのオリジナル作品の中では一番優れた作品とされています。" |
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
38.5×31cm エッチング |
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9 |
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編み物している女性のスケッチ画 |
DE´LART M6 |
本作品は彫り師ジュエリーの住所が書かれている版が逆に印刷されております。これはガラス版画にはよくある特徴です。他にミレーの「桶に水を空ける女」も同じです。ですからこの版は。描いた作品とは逆になっています。 |
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
19.2×11.8cm エッチング |
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10 |
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森の中の大きな騎手(1854年作) |
DELART C46 |
本作品は最初に描いた作品とは逆になっているガラス版です。
1854〜55年頃はコローやミレーも本格的に銅版画や
ガラス版画に取り組んだ時代です。 |
ジャン=バティスト・
カミーユ・コロー(1796-1875) |
28.3×22.5cm ガラス・ステロ版 |
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11 |
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小さな羊飼い(1855年作) |
DE´LART C50 |
"本作品はコローが色彩に灰色銀灰色の靄に包まれた、
独特の色調の風景画を描き始めたころの作品です。
この頃コローはリウマチに悩まされて外での
制作が困難になていたころの作品です。 " |
ジャン=バティスト・
カミーユ・コロー(1796-1875) |
34×26cm ガラス・ステロ版 |
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12 |
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ホラティウスの庭園(1855年作) |
DE´LART C58 |
ホラティウス(紀元前65年〜紀元前8年)
古代ローマ時代の南イタリアの詩人。
アウグストゥスと同時代に生きたラテン文学黄金期の詩人で、
ウェルギウスと並んで評価され、「詩は絵の様に」と
言うフレーズは絵画論に影響を与えた。 |
ジャン=バティスト・
カミーユ・コロー(1796-1875) |
35.6×27.3cm ガラス・ステロ版 |
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13 |
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ブナの木と岩(1861年作) |
DE´LART R4 |
"本作品は小品ながらルソーの得意とする 森の風景そのものである。
非常に細かな描写力と森の中から外に抜けていく
ルプソワール手法を使った正にルソーの逸品です。 "
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テオドール・ルソー(1812〜1867) |
12.6×16.8cm エッチング版 |
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14 |
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サクランボの木(1862年作) |
DE´LART R5 |
"本作品は単純な構図の中にも奥行きのあるしっかりとした
大地に踏み立ち光と影のはっきりとした陰影の強い作品です。
正にルソーらしい堅固な描き方である。"
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テオドール・ルソー(1812〜1867) |
21.7×27.5cm ガラス・ステロ版 |
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15 |
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オーヴェールの林檎の木(1877年作) |
DE´LART D126 |
"パリ生まれの風景画家でバルビゾン派の巨匠であり
印象派の先駆者と言われております。 ゴッホ(1853-1890)が
1890年に描いた【ドービニーの庭】に 見られるように、
ゴッホは尊敬しているドービニーが移り住んだ南フランス
オーヴェール=シュル=オワーズに行き最後の地としながら
最後の作品【ドービニーの庭】を描いたのです。"
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シャルル=フランソワ・
ドービニー(1817-1878) |
14.3×24.2cm エッチング版 |
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16 |
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風景 |
バルビゾンの風 |
"コローのデッサン左下にコローのスタンプサイン
「VENTE COROT」有り Andre Pacitti確認書(コピー)" |
ジャン=バティスト・
カミーユ・コロー |
43.5×28.3cm デッサン 紙に鉛筆 |
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17 |
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木に肘をつく農婦 |
バルビゾンの風 |
「木に肘をつく農婦」は下中央にスタンプサイン
ミネソタ大学ツイード美術館所油彩 1854年作「乳搾りの女」の習作
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ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
46.5×30.5cm 習作デッサン 紙に木炭 |
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18 |
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秋の雁 |
バルビゾンの風 |
「秋の雁」右下にスタンプサイン
1865年作ネットに油彩画出てくるのでそこから写真を撮る。 |
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
19.5×30.3cm 習作デッサン 紙に鉛筆 |
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19 |
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母と子 |
バルビゾンの風 |
「母と子」右下にサイン
1858-1859年頃のミレーの妻 カトリーヌ・ルメールと
その子供1857年6月誕生の次男シャルルと思われる。
このミレーの作品は非常にミケランジェロ似ている。
ミレーは若い頃から素描の画才がある。
またこの頃からデッサン、色彩とも雄弁なバロックや
古典派の重量級な絵画を好んだ傾向があり、
トマ、アンリ美術館や23歳でパリに出た時に
パンテオン広場の聖ジュヌヴィエーブ図書館や
ルーブル美術館に閉じこもりミケランジェロ研究をし始めている。
もちろん、この母と子の作品はバルビゾン村での作品である。
力強い母の愛情が感じられる。まさにミケランジェロである。
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ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
15.5×10.4cm デッサン 紙に黒チョーク |
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20 |
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グリュシーの農家 (ミレーの生家) |
Claude Aubry |
ミレーが家を出てから1853年4月母死去、
約10年ぶりに故郷のグリュシーに戻った時に描いた作品です。
来歴 1894年4月24日−25日NO42としてオテル・ドウロ−。
パリにてミレー未亡人の売り立て。
山梨県立美術館・誕生200年ミレー展出品。
ミレーにとって、極めて重要な作品です。
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ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) |
33.0×44.0 cm デッサン 紙に鉛筆 |
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21 |
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風景 |
バルビゾンの風 |
"左下にコローのサイン有り。
生垣のある大木を通る人の作品は調べた結果コローが
1865-1868ごろ描かれた作品であり、この作品のサインと
コローの1865-1868ごろ描かれた作品のサインと一致する。
鑑定申請中H30年6月28日 スタンプサインとサインは違う" |
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー |
35×24.5cm デッサン 油彩 |
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22 |
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放牧風景 |
Andre WATTEAU |
画面右下にサイン バルビゾン派7星
動物画の第一人者 バルビゾン派で最も革新的であった1人。 |
コンスタン・トロワイヨン |
27.5×32.3cm 油彩 |
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23 |
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草原の中の牛の群れ(1857年作) |
Claude Aubry |
画面右下にサイン 19歳のモネと出会い、
野外での制作を勧め 筆触分割の技法など教える。 |
コンスタン・トロワイヨン |
50.0×71.2cm 板に油彩 |
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24 |
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風景 |
バルビゾンの風 |
"トロワイヨンのこの作品は秋も深い日であろうか、
轟音をたてながら青空に向かって挑戦して行く様な白い雲を陰影の
強いタッチで力強く描く杉の枝葉とを正対して呼応し合っている。
まさに印象派の絵になっている。トロワイヨンは印象派のモネや
ルノアールに筆触分割の技法を教えたり、光と影の変化を教えている。
子供を連れた母と子であろうか手をつないで異変が起きるような
予感がする方向に向かって軽やかに野道を歩いている。
トロワイヨンの一瞬の凄さを感じる絵である。 " |
コンスタン・トロワイヨン |
21.8×30 cm 板に油彩 |
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ベルリ風景 |
1973年
栃木県立美術館
19世紀フランス
絵画展出品作品
図録NO18に記載 |
"1844年頃【1973年栃木県立美術館19世紀フランス絵画展出品作品】
左下にサイン 「落選王」と異名をとっている頃1844年の頃の作品であり
一木一草に至るまで、 それぞれに何かを真剣
訴えようとしているかのようで独特の気迫をみなぎらせている。
【来歴】Puvis de Chavanvns Jr.(Neuilly)旧蔵
【鑑定】CaudeAubry,GastonDelestre。" |
ピエール・エティエンヌ・テオドール・ルソー |
23.5×35.3cm 油彩 |
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26 |
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牛のいる風景(1860年作) |
バルビゾンの風
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"右下にサイン
兄の好んだ荒々しいタッチで描かれた嵐の前の激しい風景よりも、
落ち着いたのどかな田園風景を好み、暖かな色彩で描いた。 "
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レオン・ヴィクトール・デュプレ |
15.7×25.0cm 油彩
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27 |
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祈り |
Michel Rodrigue |
"右下にサイン ディアズを論ずるには作品に2面性があり
ドラクロアを源とするオリエンタリスムの非常に幻想的な人物画や
自然主義の光の描写に定評がある
バルビゾンの風景画もあり、
この作品は「祈り」」と言う、
ディアズには稀有な作品である。" |
ナルシス・ヴィルジル・
ディアズ・ド・ラ・ペニャ |
21.5×16.5cm 油彩 |
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28 |
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誘惑 |
レゾネ掲載作品 |
この作品はディアズの最も得意とするオリエンタルの少女をモデルにして誘惑する神の化身が美しい少女に囁きかけている図でディアズの作品の中でも特筆する作品である。また、ディアズを語るには風景画だけではなく、オリエンタルな幻想性豊かな人物画があり、どちらもディアズであり重要です
1807年ボルドーに生まれる。孤児となり印刷工の見習い、磁器絵付け職人となる。ジュール・デュプレらに油彩画を学ぶ
1837年フォンテーヌブローの森の風景画をサロンに出品。バビルゾンに滞在し、バビルゾン派の画家たちと親交を結ぶ。その後、ルノワール、モネ、シスレーらとバビルゾン派の画家としては最初に会い森の描き方光の捉え方自然の捉え方などの絵の手ほどきを教える。 |
ナルシス・ヴィルジル・
ディアズ・ド・ラ・ペニャ |
81.0×59.5cm 板・油彩 |
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29 |
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宝石箱を持つジプシーの少女 |
Pierre Rolande
Miquel著
カタログレゾネ
NO1773に記載 |
1855年に描かれたこの作品は正に異国情緒と自然美の調和で絶頂期にあった頃の作品であり、また構図の取り方が中央の子供を中心に絶妙な位置に配した子供達そしてルプソワール手法で陰影の強い木々の間を空気感が抜けていく先の住まいと青空と衣服の艶やかな色彩の光のコントラストオリエンタルな作品の傑作である。 |
ナルシス・ヴィルジル・
ディアズ・ド・ラ・ペニャ |
26.7×34.9cm 板に油彩 |
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30 |
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バルビゾンの森の猟犬 |
バルビゾンの風 |
猟犬の白の彩色と木々の陰影のコントラストが非常にさわやかでリズミカルである。また、細部にわたって細かく丁寧にしかも注意深く描かれている。
ディアズのこの表現方法はレンブラントの夜景の似ている。まさにバロックの表現方法である。劇的な描写技法、豊かで深い色彩、そして強い明暗法バロックの最高の表現である。この表現を描写したディアズは何を意味したのであろうか。
フランス古典主義を取り入れた総合的な自然主義なのであろう。
ディアズの作品の中に有ってこの作品は特筆すべき作品である。 |
ナルシス・ヴィルジル・
ディアズ・ド・ラ・ペニャ |
41.7×61.6cm 格子パネルに油彩 |
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31 |
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花束 薔薇 アラセイトウ クレマチス |
Michel Rodrigue |
ディアズの花の作品は面白い。特にこの作品はディアズにとっては
飾る場所を想定していたように思う。豪華な宮殿の一室にしかも
部屋の中心に位置する場所に堂々と飾ることを想定していたのではないかな。
豪華な花束は薔薇・アラセイトウ・クレマティス
アラセイトウの花言葉は『永遠の美』『愛情の絆』『求愛』である。
薔薇(ばら)の花言葉は「愛」「美」です。
クレマチスの花言葉は「精神の美」「旅人の喜び」
この3種類の花に共通する言葉は【美】です。
美しいもの【美】は永遠であれ、と願うディアズ、
消えて行こうとする花の命を真っ盛りに咲き誇った最高の瞬間の美をを
永遠に留め置こうとする.花瓶に生けて眺めるのではなく、自然の生きた
刹那の美を真近において描いている。ディアズの花に対する視線が凄い。
ディアズの花には花瓶がない花束なのである花を自由に盛り、
画面いっぱいに咲き誇る。花の個性を大事に真四角の中に
強い陰影法キアロスクーロの中に花を見事に描き表す。
カラヴァッジョの光と陰の明暗を明確に分ける表現は、バロック絵画
の形成に大きな影響を与えたカラヴァッジョのような描き方である。
しかしこの作品の方がカラヴァッジョの作品より明暗の描き方が柔らかく
優しさに包まれている。
バルビゾン派の画家には稀有な画家である。
ディアズを論じるなら風景画だけでは片手落ちになると言われています。
オリエンタルなモチーフにこの花の作品も欠かせないモチーフでありやはり、ロマン派の画家でもあるのです。 |
ナルシス・ヴィルジル・
ディアズ・ド・ラ・ペニャ |
40.5×43.5cm 格子パネルに油彩 |
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32 |
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バルビゾンの森の池 |
Michel Rodrigue |
ディアズは森の描き方をルソーに教わっている。
そのためルソーを年下でありながら生涯師匠として敬ったのである。
しかしこの作品にはルソーというよりむしろオランダの黄金期に多大な影響を与えた、初期のヤン・ファン・ホーイエンの色調に似ている。オランダ絵画を研究しているディアズにとって試したい色調なのであろう。
淡緑色の淡い色調で描く森の木々や地面に茂る雑草の息吹を柔らかく感じてくる。日の当たり具合で微妙に変化する大気が遠く微かに見える都市を包み込むように大気が大空に飛翔してゆくこの雲の微妙な変化が何かを暗示しているようである。
こうした作品はディアズにしては数が少ない稀な作品である。空の空間色と森の色調とが能くマッチングさせて見るものを森の池から大空へと誘っている。
彼の風景を盛んに描き始めた頃の作品は色彩が張り詰めていて強い勢いがあったしかし次第に同化していくような色面に一定化してゆく構図になってゆく |
ナルシス・ヴィルジル・
ディアズ・ド・ラ・ペニャ |
35×41cm 板に油彩 |
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33 |
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夕暮れの羊飼いと羊たち |
Michel Rodrigue |
1858年シェノ―28歳の時羊飼いの生活に意義を見出し、
シャルル・ジャックを慕ってバルビゾンの村の移住する。
コローやドービニーの影響も受け叙情的な羊のいる風景を描いた。
その優雅さゆえに「羊のラファエロ」の異名をとった。 |
ジャン=フェルディナン・シェニョー |
15.7×21.9 cm 油彩 |
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34 |
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平原の羊飼いと羊の群れ |
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ジャン=フェルディナン、シェノー |
仏P5号 板に油彩 |
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35 |
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マント橋 (1867年作) |
Robert
Hellebranth著
に記載 |
カタログレゾネにNO67として掲載 この作品は同じ日、
同じ構図、同じ大きさで時間を
夕方に変えて描いた別の作品があります。
正に印象派の刻々と移り変わる光と影の印象を
はっきりと捉えた作品で稀有な作品です |
ドービニー |
24×44.5 cm 油彩 |
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36 |
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夕暮れの風景 |
バルビゾンの風 |
ミシェルのサインは、初期の作品を除いて《自分の作品には
サインは入れない、見れば分かる》と言ってサインを入れなかった。
来歴 Corcoran Gallery of Art(ワシントンDC)Sotheby ‘Parke Bernet
(ニューヨーク) 1979年セール1879年にルーヴル美術館に迎え入れられ、
近代風景画の先駆者・バルビゾン派先駆者として名を残した。 |
ジョルジュ・ミシェル |
21.5×53.5cm キャンバスに油彩 |
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37 |
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大きな柏の木のそばの池 |
Michel Rodrigue |
" この作品はポントワーズ、オアーズ川近郊で描いた作品であり、オワーズ川の池のほとりに鬱蒼とそびえる大樹に俄かに迫りくる荒天の影、周りの人々も巻き込もうとしている中に天空にはまだ青空が見える、劇的な様相を呈している作品まさにベートーベンの曲、デュプレの作品であり光と影の作品でもある。" |
ジュールデュプレ |
46.5×65.5cm キャンバスに油彩 |
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38 |
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風車小屋がある風景 |
Marie-Madeleine
Aubrum著
カタログレゾネ
NO 380 |
風車が黒雲に向かって聳え、小川のそばをゆったりと
帰路に付く羊飼いと羊、風雲急を告げる作品であるが
どこか光差すのどかな風景に感ぜられる。
空と雲と地平線の関係が素晴らしく
まるでオランダのロイスダールです。
まさにデュプレの真骨頂の作品です。 |
ジュールデュプレ |
38.0×46.0cm キャンバスに油彩 |
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39 |
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日暮山の印象 |
1973年
栃木県立美術館
19世紀フランス
絵画展出品
作品
図録
NO44に記載
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"コローの弟子【靄と朝露の画家】と言われた画家です。 とくに晩年に近づくにつれて完成度の高い作品を残し、 1868年に制作され翌年のサロンに出品された
縦102×202cmの大画面の題名が≪空≫(space)作品は 大好評を得て国家に即買い上げされ、オルセー美術館の 代表作品20点に入っております。
この作品は正に完成度が高く【靄と朝露】の作品です。"
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アントワーヌ・シャントルイユ |
50×100cm キャンバスに油彩 |
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40 |
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朝もやの家 |
裏面に封猟「Collection J。Desbrosses1907−CHINTREUIL」
Claude Aubry 鑑定証書付き
〔来歴〕:Jean-Alfred Desbrosses・ De Bouyssou(パリ) |
コローの弟子でドービニーにも影響を受けており、そこから新たな自然をうたう独自の独創的な詩学、靄と朝露をうたう立体感と透明感と空気を感じる、まるで真珠の光り輝く採光が靄や朝露となって画面に広がる独自の画境を築き【靄と朝露の画家】と言われた画家です。とくに晩年に近づくにつれて完成度の高い作品を残し、1868年に制作さ
れ翌年のサロンに出品された縦102×202cmの大画面の題名が≪空≫(space)作品は大好評を得て国家に即買い上げされました。彼が認められたのは晩年の4,5年でした。それまではコローの弟子であり、才能に恵まれた勤勉な風景画家であり貧しく体の弱い孤高の画家で色彩表現に優れた詩情豊かな画家でありました。(続きはこちら)
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アントワーヌ・シャントルイユ |
21.8×19.7cm 板に油彩 |
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41 |
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田園の牛 |
バルビゾンの風 |
"右下にサイン 落ち着いた空の美しいのどかな作品です。 兄のジュール・デュプレに師事し兄の好んだ荒々しいタッチで描かれた嵐の前の激しい風景よりも、落ち着いたのどかな田園風景を好み、暖かな色彩で描いた。"
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レオン・ヴィクトール・デュプレ |
36.0×61.0cm キャンバスに油彩 |
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42 |
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池 |
Michel Rodrigue |
サイン有り V・デュプレの作品では珍しい陰影の強い作品です。
空の黒雲がもっと近づきそうな空模様まるで、
兄の デュプレの作品の様ですが画面は穏やかで
落ち着いた清とした作品です。
やはり弟のV・デュプレの作品です。
この作品は構図の取り方、作品全体の描き方まるで
兄デュプレの「風車小屋がある風景」に時間がさらに過した
夕暮れの光彩、陰影になっている。
光の印象を論理的に描いてある感がある
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レオン・ヴィクトール・デュプレ |
22.5×32.0cm 板に油彩 |
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43 |
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羊飼いと羊の群れ |
バルビゾンの風 |
右下にサイン シャルル・エミール・ジャックに師事し、その影響を強く受ける。風俗画、風景画を手がけたが、特に羊を描いた絵画がよく知られている。バルビゾン村で生涯を過ごした。 |
シャルル=フェルディナン・セラマノ |
81.2×65.2cm キャンパスに油彩 |
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44 |
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湖畔の木だち |
バルビゾンの風 |
バルビゾン派の画家であり、コローに学んだ彼の絵は、淡い光が煙ったような樹葉などの描写や自然の中に共生する人々が見受けられます。 |
ポール=デジレ・トゥルイユベール |
24.5×19.3cm 板に油彩 |
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45 |
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橋を渡る羊飼い |
バルビゾンの風 |
"風景画家 フランソワ・フランセおよびコローの弟子 1906年 レジオン・ドヌール勲章受章 木々の葉の描き方置き方、人物の置き方色彩のトーンの取り方が一様であり色彩の調子が一定しているのである。構図の取り方に地面の感覚を大きくとり橋と樹木共に生き生きと空に木霊していくようである。また光と影の微妙なコントラストが程良く画面を安定させ絵そのものの迫力を増している。" |
ルイ=エメ・シャビ― |
50×65cm キャンパスに油彩 |
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46 |
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水辺の洗濯女たち |
ミシェル ラノワ
デュピュテル
来歴SOTHEBY
S N Y
2003年10月 |
"1900年作 右下にサイン イボリット・カミーユ・デルピーの作品は師匠であるドービニーの作品よりは色彩が明るく軽快にリズミカルに整った色調である。淡い暮れなずむ空を川面に穏やかに映し鴨の家族が夕焼けに染まる様はデルピーの真骨頂である。空や水辺の明るい部分に印象派シスレーが用いた色使いが感じられ印象派の一人と言えるのでしょう。"
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イボリッド=カミーユ・デルピー |
39.7×71.2cm 板に油彩 |
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47 |
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村の近くの池 |
バルビゾンの風 |
"1903年作 右下にサイン コロー及びドービニーの弟子。特にドービニーにテーマや技法の点で強い影響を受け、オワーズ川畔、セーヌの川畔の夕焼けに染まる川面の風景を多く描きました。
" |
イボリッド=カミーユ・デルピー |
40.4×70.7cm 板に油彩
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48 |
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水辺の鴨 |
バルビゾンの風 |
"右下にサイン 府中市美術館発行の本に掲載 バルビゾン派最後の画家 「日没、フォンテーヌブローの森」(油彩)、バルビゾンの平野に沈む夕日」(油彩)、「木を集める猟犬係」(水彩)、「ミレーのアトリエ」(デッサン)などの作品が市立バルビゾン派美術館(かつてのガンヌの旅籠)に収蔵されている。" |
ジョルジュ・ガシー |
38.0×55.0cm キャンパスに油彩 |
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49 |
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川の傍の羊飼いと羊の群れ |
Bernheim-Jeune |
ジャックは羊の群れを抒情的羊に描く天才で《羊のラファエロ》とまで言わています。この作品は空の雲の動きと羊の何気ない動きが連動している極めて構図上計算されている作品です。ジャックの晩年の作品でしょう。 |
シャルル=エミール・ジャック |
24.1×31.1cm キャンバスに油彩 |
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風景の中の羊の群れ
もしくは平原で羊の群れを連れた羊飼い |
バルビゾンの風 |
"画面左下にサイン年期 本作品は1859年に紙にコンテで描かれ、1861年にシャルル=エミール・ジャックが初めてサロンに発表した油彩画作品の元に成った習作作品と言えます。現在その油彩画作品はオルセー美術館に収蔵されている。
作家の鋭い観察眼や素直な写実性が滲み出ており、また非常に印象派に通じる光の捉え方が繊細にして大胆でかつ朝の構図が巧みに描かれています。" |
シャルル=エミール・ジャック 1859年作 |
61.7×97.8 cm 紙にコンテ・パステル |
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居眠りする羊飼いの少女(1869年作) |
Vincent
MARILLIER |
"本作品の習作である作品が同じ大きさで同じ構図で同じ
1869年に描かれたパステル画がワシントンナショナルギャラリーに所蔵されています。
本作品は羊飼いの少女が居眠りをしている構図です。
そして見張り番の牧羊犬が代わりにしっかりと、見張りをしております。
色彩も明るく大変のどかな秀逸な作品でありジャックの最高傑作でもあります。 "
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シャルル=エミール・ジャック |
53.7×95.2cm キャンパスに油彩 |
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川の傍の羊飼いと羊の群れ |
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シャルル=エミール・ジャック(1813〜1894) |
24.1×31.1cm キャンバスに油彩 |
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風 景 |
Michel Rodrigue |
"ディアズの絵に惹かれ彼の弟子になる。 またルソーの影響を受けフォンテーヌブローの森や田園風景を誠実に描いた。彼はバルビゾン派の影響を受けた風景 画家で、特にルソーの画風を受け継いでおり、フォンテー ヌブローの森を多く描いたバルビゾン派の巨匠たちの弟子世代(第2世代)における代表的な画家である。
フォンテーヌブローで没。 |
レオン・リシェ |
57×86.2cm キャンパスに油彩 |
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水汲みの女 |
バルビゾンの風 |
ロマン主義者、バルビゾン派の画家。
1855年のパリ万国博覧会では最高賞受賞。
大胆で荒々しい筆使い、光と影の強い対比。
ドカンの描く光はめったに平穏を暗示する事がないと言われるが、
この作品は、光と影を巧みに調和させながら背景の壁の
光の強さに負けない濃い茶の色を微妙に調整している。
何か日常の平穏な生活感が感じられる。構図は右手の持つ水桶の中の
水の重みがが分かる程に左手でバランスをとり右足に体重を
かけているのが良く分かる。晩年のバルビゾンでの作品と思われる。
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アレクサンドル=
ガブリエル・ドゥカン (1803〜1860) |
31.3×24 cm キャンバスに油彩 |
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鶏 |
バルビゾンの風 |
"1826年ベルシー生まれ。コローに師事し弟子になる
1859年のサロンで3点の風景画が初入選になる。
以後亡くなる1900年まで、イギリス海峡を望むフランス北西部の
ノルマンディーの海の景色やフォテーヌブローの森の風景や
バルビゾンの農家の中庭、林間の空き地、森やオワーズ河畔など、
素朴な田園風景を詩情豊かに描き毎年定期的にサロンに発表した。
羊、鶏、家鴨などの動物画も多い。後期のバルビゾン派に位置づけられ、
印象主義の接点も見られる。パリで没" |
アレクサンドル・ドフォー(1826-1900) |
26.7×65.5 cm キャンバスに油彩 |
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森での散歩 |
Michel Rodrigue |
"バルビゾンに最初に訪れ最初に定着した画家であり、先駆者である。
フランスの画家。パリに生まれ、同地で没。 ロゼとサラザンの弟子。
コローや他の画家がバルビゾンで制作をする前の18世紀後半に
フォンテーヌブローの森を描いていた。また、ルソーやミレーが
バルビゾンに住む前に既にバルビゾンに住んでいた。
1791年以降1804年までサロンに出品した。 " |
ラザール・ブリュアンデ (1755-1804) |
24.6x32.4cm キャンバスに油彩 |
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池のそばでの狩り |
Michel Rodrigue |
"バルビゾンに最初に訪れ最初に定着した画家であり、先駆者である。
フランスの画家。パリに生まれ、同地で没。 ロゼとサラザンの弟子。
コローや他の画家がバルビゾンで制作をする前の
18世紀後半にフォンテーヌブローの森を描いていた。
また、ルソーやミレーがバルビゾンに住む前に既にバルビゾンに住んでいた。
1791年以降1804年までサロンに出品した。 "
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ラザール・ブリュアンデ (1755-1804) |
24.4x32.8cm キャンバスに油彩 |
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ソローニュの池 |
バルビゾンの風 |
コロー、ドービニーノ弟子。自然を崇拝し、虚飾のない自然を溢れるような豊かな色彩で描いたダモアは、コロー、ドービニーのもっともすぐれた後継者の一人とされている。この作品は17世紀オランダ黄金期の画家ヤン・ファン・ホ−イエンのぼかしの技法色調のフェーズを採り入れ、メインデルト・ホッペマの「ミッテルハルニスの並木道」1689年作の構図を採り入れている光輝く見事な作品である。 |
ピエール=エマニエル・ダモア(1847〜1916) |
33.3×60.5cm キャンパスに油彩 |
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【公式ブログ】
http://ameblo.jp/barbizon-ha/
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