アントワーヌ ・シャントルイユ(1814-1873)
朝もやの家
21.8×19.7cm 板に油彩

コローの弟子でドービニーにも影響を受けており、そこから新たな自然をうたう独自の独創的な詩学、
靄と朝露をうたう立体感と透明感と空気を感じる、まるで真珠の光り輝く採光が靄や朝露となって画面に広がる
独自の画境を築き【靄と朝露の画家】と言われた画家です。とくに晩年に近づくにつれて完成度の高い作品を残し、1868年に制作さ
れ翌年のサロンに出品された縦102×202cmの大画面の題名が≪空≫(space)作品は大好評を得て国家に即買い上げされました。
彼が認められたのは晩年の4,5年でした。それまではコローの弟子であり、才能に恵まれた勤勉な
風景画家であり貧しく体の弱い孤高の画家で色彩表現に優れた詩情豊かな画家でありました。
シャントルイユの様式は真に美しいものを認識しうる心眼の偉大さを物がなっているのである。

[シャントルイユの作品は二つの大きな時代と、その下位区分に別けることが出来る。]
第一期:モンマルトルとパリ周辺(モンソ−公園)(1846-1850)32歳〜36歳
:イニ−(1850−1857)、ボーヴ(1856年)(36才‐43才)11年間
第二期:ラ・トゥルネル−セプトイユ(1857−1873年)43才−59歳 16年間
フェカン、ブ−ロ−ニュ  (1861−1873年)47才−59歳 12年間

第一期  前半はパリのモンマルトルやモンソ−公園・パリ界隈で試作を試みた。
後半はパリ南西のピエ−ヴル川沿いのイニ−に住んで習作に励んだ。
イニ−での7年間の絵はすべて同じ特徴を示している。
【シャントルイユの生涯のこの時期の全ての作品は】

(1)繊細な安らぎ・素朴な誠実・と言う同一の特徴
(2)甘味で強烈な同じ部類の印象
(3)色調と立体感の同様の探求を忍耐強く探求した。
(4)やさしく柔らかな緑色の固有のあの彩色。

それに、自然を前にして
新たな独自の独創的な詩学を自分自身のために
完全に作り上げようとするあの粘り強く固い決意を表している

【1857年】 ラ・トゥルネル・セプトゥイユに住み始める。1857-1861 4年
フェカン、ヴ−ロ−ニュ  1861-1873 12年
イニ−から見ると北西の方角
パリから見るとやや南の方角
ここは10年後にコロ−が傑作【マント橋】を描いた所(パリ西方60キロ)の近郊である

この1857年の時期からシャントルイユ才能にある種の変化が生じる。
彼の作品を支配する大きな特徴の一体性を損なうことなく
彼の経歴の新たな局面を示す。独自の画風を築き上げる。
これがシャントルイユの人生第二の局面 トゥルネルで過ごした16年間である。
 
【絵画的パノラマとなり自立した存在となった1860年代】
それは作品画面が1対2の構図をとり、シャンフル−リ−が「靄と朝露の画家」と呼びますように
朝靄が朝日に照らされて消える一瞬の時を描き切った作品それが彼が目指した到達点なのです。

最初の朝の光が差し込み暗闇から自然があかるむ瞬間靄が消える、
その一瞬の光景を描き切るこれがシャントルイユの到達点なのである。
刻々と移り行く自然の情景を前にして追求してゆくべき対象をどこでとらえるか。どの時点で捉えるか
研究を重ねてきた結果の帰結。それが靄の明滅点の瞬間なのかもしれない。
1868年前後から1873年までの4〜5年に完成度の高い作品代表的な作品を残している
並びにそれらの先立つパリやモンマルトル、イニ−での習作の時代
シャントルイユはどのような作品を描いていたのか
【シャントルイユの作品(イニ−)の考察】
作品《朝もやの家》板に油彩。サイズ21.8×19.71pに見る
見ていると薄く朝焼けが掛かっている、その朝焼けの光に準じて草原の地面と家と
小高い林の陰影が少しづつ色がぼんやり浮き出てくる。間もなく日の出の到来である。

家の質感、林の量感,軽緑色の地面の色合い全てが明け昇る空の薄明に順化していく
その刹那の静寂を捉えたシャントルイユの作品。陰影(影)と自然とのバランスが絶妙
である光を通しての自然に対する観察が鋭い。